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ロベルト・クレメンティ(1955−1972)<パイレーツ>

1934年8月18日、プエルトリコ生まれ。
打ってはテッド・ウイリアムスをして「60年代で最もミートの上手い打者」と言わしめ、守ってはこの写真のようにしなやかな守備で観客を魅了したスーパースター。それがロベルト・クレメンティである。
クレメンティはプエルトリコ出身の天才野球少年だった。1953年にドジャースのファームに入団するが、あっさりとクビにされる。しかし、翌年パイレーツがわずか4000ドルで彼を獲得し、翌1955年からメジャーでプレーすることになった。
メジャーデビューの頃は、打率がなかなか3割に届かず、ホームランも5本程度という打力で、もっぱら守備力を買われてレギュラーの地位を確保していた。当時の本拠地であるフォーブス・フィールドは、右中間のふくらみが大きく、ライトのクレメンティの守備はファンを沸かせた。特に、三塁走者がタッチアップするのを、ライトの深い位置から素晴らしい送球(ライフルアームと呼ばれた)で刺す場面は、クレメンティでないとできないプレーであった。
上の写真はデビュー間もない1958年のクレメンティの守備ぶりである。一番左の写真は、やや見にくいが左上にボールが映っており、捕球態勢からかなり離れた位置に打球があるのに、早くもジャンプしようと体を反らせている。その右の写真は、打球をキャッチした瞬間。その右の写真は、恐らく逆シングルで後方に着地したため、態勢が崩れかけているところである(普通の外野手ならこの時点で転倒している)。しかし、一番右の写真は、その態勢から右足で跳ねて左手を大きく回して、美しいフィニッシュを空中でキメている。こんなのを生で観たら、一生忘れられないだろう。見事な躍動感・・・そして、見事なスポーツ写真である。
1960年にパイレーツはリーグ優勝し、ヤンキースとのワールドシリーズに臨んだ。クレメンティはそのシリーズで3割以上打ったが、最終戦8回ウラに奇跡の逆転ホーマーを打ったハル・スミス、それでも追いつかれた9回ウラにサヨナラホームランを放ったビル・マゼロウスキーなどの活躍と比べると、いかにも地味だった。翌年のオールスター第1戦で、ついにクレメンティの打力は本物になった。この試合で、ナ・リーグは8回ウラのジョージ・アルトマン(後にロッテ・阪神でプレー)の代打2ランで勝利を決めたかに見えたが、ケン・ボイヤー(大洋でプレーしたボイヤーの兄)の2度にわたるエラーで逆転を許してしまった。延長10回ウラ、敗色濃厚なナ・リーグだったが、ハンク・アーロン、ウイリー・メイズの野球殿堂入りコンビが連続長短打を放ち同点。最後にクレメンティがサヨナラヒットを放って熱戦にケリをつけた。
1961年からの7年間が打者クレメンティのピークだった。クレメンティはこの7年間で4度も200安打以上を達成し、4度リーグ首位打者を獲得した。1966年には、パイレーツ自体はリーグ3位に終わったのに、クレメンティは優勝チームのサンディ・コーファックスなどを押さえてリーグMVPに選ばれた。その他1961年から12年間連続ゴールドグラブ賞、(1968年を除き)1960年から1972年までで12回オールスターゲーム出場、1971年に2度目のワールドシリーズ出場を果たし、全試合にヒットを放ち、最終戦の先制ホーマーなどで貢献しシリーズMVPなど、まさに「ラテンアメリカ最高の選手」の名にふさわしいスーパースターぶりであった。1972年もナ・リーグ東地区で優勝し、リーグ優勝決定シリーズで惜しくもレッズに敗れたものの、クレメンティはシーズン最後に通算3000本安打を達成していた。
1972年12月31日、故国プエルトリコのサンファン空港から、ニカラグアへ向かうDC−7の機内にクレメンティの姿があった。ニカラグア地震の被災者の救援に行くためだった。ラテンアメリカ出身のメジャーリーガーとして当然のことだ、とクレメンティに迷いはなかった。彼は地震で打撃を受けた人々を放っておいて、自分だけ安穏と新年を祝うような男ではなかったのである。だが、あってはならない惨劇が起こってしまった。飛行機が空港を離陸した直後、機体は突然大西洋海上に墜落したのである。生存者なし。全員死亡が確認された。
クレメンティの事故死は関係者に大きな衝撃を与えた。時の大統領ニクソンは、わざわざ追悼の電文をしたため、遺族に対して見舞金をおくった。全米野球記者協会は「引退後5年」の条件を超えて、特例として翌年直ちにクレメンティの野球殿堂入りを決定した。純粋なアメリカ生まれのメジャーリーガーでも考えられなかった温かい配慮が各方面からなされたのである。
今や、ラテンアメリカ出身の選手抜きでMLBはあり得ない。彼らがメジャーの世界で露骨な差別を受けなくてすんでいるというのが事実であるとすれば、少なくともクレメンティの存在抜きではあり得ない話だろう。彼の人格を慕って、サミー・ソーサのような選手が、また立派なプレーぶりを披露し、それがドミニカの子どもたちの希望の星となる、といった具合に、良い方向に連鎖していくのである。クレメンティという選手も、ジャッキー・ロビンソンと並んで、MLB史上不朽の名前であることに間違いない。