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セシル・クーパー(1971−1987)
<71〜76 ボストン・レッドソックス、77〜87 ミルウォーキー・ブリュワーズ>
1949年12月20日、テキサス生まれ。
1980年・1983年にア・リーグ打点王。1979年・1981年にはリーグ最多二塁打を放った強打者。メジャーでレギュラーになってからずっと一塁手で他のポジションを守ることはなかった。レッドソックス時代の1974年に121試合に出場し、打率.275でレギュラーとなる。翌年のリーグ優勝時には、アスレチックスとのプレーオフで猛打を振るったものの、あの有名なレッズとのWシリーズでは20打数1安打という貧打にあえいだ。1976年のシーズンオフにジョージ・スコットとのトレードでブリュワーズへ移籍するが、これが転機となり一回り大きな打者に変貌する。移籍後7年連続3割以上をマークし、打点王に2度輝き、また1978年を除き(1981年は変則シーズンで例外)1985年までの7年間を150試合以上出場という安定したプレーぶりで監督・チームメイトからの信頼も高かったに違いない。1979年秋には大リーグ選抜チームの一員として来日。当時絶頂だったクーパーの迫力ある構えに、メジャーのピッチャーも怖々と投げていたのを思い出す。1981年の変則シーズンでのヤンキースとのプレーオフでは、またしても18打数4安打の不振(チームも敗退)。翌年もエンゼルスとのプレーオフで20打数3安打と、大舞台で全く打てないイメージのクーパーだったが、チーム自体は奇跡的にエンゼルスを振り切った。カージナルスとのWシリーズでは、第3戦で初ホーマーを放つなどやっと地力を発揮して、.286と打ったが、チームは最後の最後でB・スーターを打てず7戦目で敗北を喫した。以後、ブリュワーズもクーパーも下り坂に向かい、1986年のシーズン終了時で生涯打率が3割となった。この時が引退時だったかもしれないが、もう1年プレーしたため生涯打率が.298となった。生涯記録は、安打数2192本、二塁打415本、打点1125、241ホーマーである。