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サーマン・マンソン(1969−1979)<ニューヨーク・ヤンキース>
1947年6月7日生まれ(同時代の偉大な捕手ジョニー・ベンチ、カールトン・フィスクと同い年)。
 ケント州立大を卒業した1968年に、ドラフト第1位でヤンキースに入団。翌シーズンからすぐ132試合に出場し、打率.302を打ち新人王となる。ヨギ・ベラ以来の大型捕手として弱い時代のヤンキースを支え、毎年3割近い打率とファイトみなぎるキャッチングでファンを魅了した。
 1975年頃からパワーも加わり、20ホーマー、100打点も期待できる中心打者となっていくが、一方でスローイングに衰えが見られ、その分ささやき戦術などのテクニックでカヴァーするという技巧派捕手に変身する。
 1976年のキャットフィッシュ・ハンター獲得に始まるヤンキース札束攻勢のなかで、生え抜きでは唯一不動のレギュラーとして踏ん張り、ゴセージなどの移籍して入ってきた大物投手を見事にリードした。1976年からの3年連続リーグ優勝は、マンソンの見事なチームリーダーぶりに負うところが大きい。奇しくも1976年は、マンソンがルー・ゲーリック以来のヤンキース主将の座についた年でもあった。
 ヤンキース内紛(オーナーと監督と主力打者の三つ巴。スタインブレーナー、マーチン、R・ジャクソンであることは言うまでもない)の年であった1979年の夏。正確には8月2日に、彼は飛行機事故によって死亡する。1970年代の最初にロベルト・クレメンティが飛行機事故で亡くなって以来の大事件だった。これにより、復活した名門ヤンキースをまとめられる者は誰も居なくなった。直後に行われた追悼セレモニーで、ボビー・マーサーが「彼より偉大な人は現れないでしょう」と語ったが、事実ヤンキースはその後1996年まで優勝から遠ざかるのである。


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