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テッド・ウイリアムス(1939−1960)<ボストン・レッドソックス>

 アニメーションを止める(6コマ目で固定)
 1918年8月30日、カリフォルニア生まれ。
 ベーブ・ルース以降の近代野球において、ナンバーワンの打者と言ってよい。ゲーリック、ディマジオなどの大打者は、はたして現代の落ちる球中心のメジャーリーグで通用するのかどうかやってみないとわからない面があると思われるが、ウイリアムスは間違いなく現在のメジャーでも三冠王を狙えるスーパースターになっていただろう。少なくともファンにそう思わせる何かが彼にはあった(もっとも、MLB通の池井優慶大教授が、”人工芝の野球についてどう思いますか”と質問したとき、”じゅうたんの上でやる野球は、野球じゃない”と吐き捨てるように言ったとか。現代の混乱気味のMLBに彼の居場所はないかもしれない)

 今さら彼の栄光の記録を書き連ねても仕方がないほどだが、1942年、1947年と2度の三冠王などは、彼のオールラウンドな実力を示すものだろう。長いメジャーの歴史でも、2度三冠王に輝いたのは、ロジャース・ホーンスビーとウイリアムスの2人だけである(ホーンスビーは恐らく右打者ではウイリー・メイズと並ぶ大打者であり、左のウイリアムス、スタン・ミュージアルを加えて、20世紀メジャー・リーグ4大打者といってよいだろう)。兵役によるブランクのあったウイリアムスは、25歳・26歳・27歳、34歳・35歳という油の乗り切った年齢でプレーしておらず、少なくともこのうちの1回は三冠王のチャンスがあったはずと言われている。

 そして最後の4割打者ウイリアムス。彼は、シーズン最後の場面で、四捨五入による4割打者になることを嫌って試合に出場し、ダブルヘッダーで8打数6安打を放って文句ナシの4割打者となったことは有名だが、これは1941年の話である。まだ23歳になったばかりのウイリアムスにとって、今後何度も4割を狙うチャンスはあるはず、と簡単に思っていたに違いない。しかし、その後のウイリアムスは、4割を狙うバッターとしては意外と低い打率に終始した。通算打率.344の打者に低打率などというのは滑稽かもしれないが、彼はハイアベレージバッターではなく、スランプをすぐ克服できたバッター即ちノット・ローアベレージバッターだったのである。長い現役生活で3割を切ったのは引退の前年の1年だけである。50年代は不振だったレッドソックスにあって、本塁打・打点・打率とも大きく落ち込まなかった彼の精神力には敬意を表さざるを得ない。それでも1957年には、あとヒット5本で2度目の4割というチャンスがあった。結局そのシーズンは、.388で終わったが、5度目の首位打者となり、39歳という年齢での快挙も話題となった。

 上記アニメーションGIFは、彼のスイングの分解写真を合成したものである。いつの頃かよくわからないが、恐らく50年代ではないかと勝手に推察している。実に腰の据わった揺るぎのないフォームで、狙った通りの球が来て、会心のスイングで振り抜いたという感じが伝わってくる。フォロースルーの最後でバットを立てるのは、今回分解写真をアニメーション化してはじめて気がついたことで、こういうバットのこなし方は他ではあまり見たことがない(フレッド・リンがこんな感じのフォロースルーだったような気がしますが・・・自信ありません)。


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